Welcome to BIWAKO

司法書士受験生へのメッセージ 2001.08.26版

                                  司法書士 長谷川 清


1996(平成8)年3月にホームページ「Welcome to BIWAKO」を開設以来、登記/司法書士/土地家屋調査士に関する総合情報サイトとして多くの情報を提供してきました。インターネットの状況は当時とは格段のちがいがあります。パソコンそのものの能力は言うに及ばず、通信回線速度の向上など、確かに現時点では全く不十分ではありますが、当時に比べれば驚異的な発展をわずか数年の間に遂げてきたと言えます。

はじめてホームページを見たとき(94年当時)、すべてが新鮮に思えました。中でも最も自分を驚かせたのは、自分が今書いた文章を送信したにもかかわらず、それが直ちにそのページの中に反映されるという「掲示板」でした。CGIなどという言葉も知らないものにとって、それは正に驚異でした。

この掲示板というものの持つ「双方向性」が、インターネットの特徴でもあり、インターネットを単に「西洋版電子広告塔」(一時期そう言われ、熱しやすく冷めやすい国民性からインターネットは日本には定着しないと言われていました。)に終わらせなかった要因の一つがここにあったと思います。

現在インターネットのHP数の正確な数が分からない程度に、やはり「掲示板」の数も分からないでしょう。それほど多くの掲示板が開設され、それぞれその目的、テーマによって使用されている状況は、現在の社会の縮図とも思え、大いに活用されるべきものだと思います。

問題は、その中の「匿名性」にあるように思います。
一般的に言って、「匿名性」のみを非難することは問題だと思います。なぜなら「匿名性」は極めて重要な表現の自由を完全に保証してくれるものともなり得るからです。もちろん逆な言い方をすれば、他人を攻撃する武器にもなる可能性もありますが。

テーマを「司法書士」に限定すれば、多くの掲示板において「司法書士」がテーマにあげられています。それだけ関心度が高いという状況は喜ぶべきことかも知れません。しかし、その匿名性故に、真実が語れない、また真実を語ってもそれが信じられない、という状況があるのではないかと思います。

多くの受験生が、それら掲示板で語られることに真実だと思いながらもどこかそうではないのではないかという気持ちがぬぐい去れないでおられるように思えてならないのです。多くの掲示板で「司法書士」をテーマに語り合いながら、結局どこかで堂々巡りをしているだけなのではないか、匿名で語られるからこそ、その真実が他の参加者に伝わっていないのではないかという気がするからです。そういった掲示板への参加者(ROMを含めて)の多くの方は、「本当のところどうなんだろう」という気持ちにかられておられると思えるのです。

司法書士を目指すあなたへ

司法書士を目指そう、そうお考えになったことに対し大変うれしく思います。
しかし、あなたにとってはそんな私の気持ちなどどうでもよいのであって、大事なのは司法書士の将来性についての確かな情報なのでしょうね。

しかし、更に重要なのは司法書士の将来性なのではなく、あなた自身の人生なのだと考えなくてはいけないのです。司法書士に合格しても、それだけであなたの人生が成功に導かれるものではなく、逆に合格しなくても、それだけであなたの人生が失敗に終わるわけでもないからなのです。

そうは言っても、あなたの当面最大の関心事は、司法書士を目指すことがあなたの人生を賭けるだけの将来性があるかどうかという一点だろうと思います。確かに司法書士試験は難関なのだろうと思います。一定の時間をそれだけに費やす、当然一定の経済的負担も伴うことでしょう、それだけのものを費やして、手に入れた資格が無一文なものになってしまうなら、最初から手を出さないという、そういった選択は賢明なものだと思います。

問題はいくつかありますが大きくはこの二つに絞られます。
1.司法書士で食っていけるのか
2.司法書士という資格がなくなるのではないか

第1の問題は、自分の人生を社会や制度に委ねようとするもので、人生を正面から生きようと、もしくは自分の人生において成功したいと真剣に考えているとは思えない質問です。

この質問に対し、悲観的なメッセージを多く読まれたことでしょう。それらの多くのメッセージが虚偽だとは思いません。確かに、司法書士という資格者も他の専門資格者も同様ですが、現在の経済社会の中の競争原理にさらされていることは事実です。ですから、自分の成功は自分で勝ち取るものなのでしょう。司法書士の看板をあげれば、明日から食っていける、そんな時代ではないことは確かです。

この質問に悲観的に答える多くの方が、その原因を正しく伝えていないことが問題だと思います。伝えていないというよりも、正しく認識していないということかも知れません。多くの方は、概して外に原因を求めすぎておられます。たとえば、新規開業者が銀行なんて食い込めるものではない、とかがそうです。自分で真正面から司法書士という資格をもって社会に対して出来ることをすべておこなった上で、食えなかったなら仕方ありません。しかし、その場合であってもそれでも食えない唯一の原因は自分の努力と司法書士で食っていくという信念の欠乏だろうと思います。決して、既存の大手事務所が仕事を押さえているからというような、他人事が原因ではないはずです。

他者に自分の人生の敗北の原因を求めている間は、真に成功することはできないでしょう。

このような人は、自分が人生において何をしたいのかという目標において乏しいところがあるのではないかと思います。もし、自分の人生の目標は「司法書士になること」だ、と考えるなら、その人の人生は、司法書士試験の合格証書をもらった時に終わるでしょう。又、自分は司法書士になって、銀行から依頼を受けて登記の仕事をして、銀行の役に立ちたいんだ、と思っておられる人もおられるでしょう。それぞれその思いに向かって努力を重ねるというそういうことだと思います。人生を生きると言うことは。

司法書士では食えない、という結論を出した人は、あまりにも早く敗北宣言をしすぎなのではないでしょうか。ほんとうに司法書士で食いたいのであれば、全国にはまだまだ司法書士を求めている場所はたくさんあります。そう言う場所に移れば食っていける大きな可能性があると思いますが、そのように早々と敗北を認める人はそのようなことまでして食っていくつもりはない、ということなのです。つまり、司法書士で食っていきたいということに対して、それほどまでの信念はお持ちでないように思えるのです。

ですから、第1の質問に対する私なりの答えは、食っていく信念があれば食っていけると思います。社会や資格が食わせてくれるのでもなく、食っていくのは自分自身なのですから、答えは自分の信念以外にはないということです。

仮に、司法書士を目指す目的が、司法書士になることでもなく司法書士なって何かをすることでもなく、単に楽に食っていきたい、ある程度の社会的ステータスをもち年収1000万を稼ぎたい、ということであるのなら、司法書士という資格は、得るために費やす努力に対して与えてくれるものは極めて小さいと思います。ですから、そのような方は、司法書士試験など目指すべきではありません。

司法書士という資格が与えてくれるものは小さなものですが、それは限りない可能性を持ったものです。それを手にしたあなたがその意思さえ持てば、あなたは経済的に満たされるだけではなく、死に直面した人を救うことも出来ます。さらには、ほんのささいなトラブルで幾夜も眠れない夜を過ごしている人に、あなたは心の安らぎを与えることも出来るでしょう。どう使うかはあなたの意思によります。銀行の前で一日中抹消書類を待っている人生もあなたの決める人生です。

司法書士受験を目指す前に、あなたは司法書士になぜなるのか、その答えを見つめるべきです。なぜなるのか、なぜなる必要があるのか、なぜなりたいのか、司法書士になってなにをしたいのか、それらに対する漠然としたものであってもその答えを見つけるべきです。そして、その答えが、金銭的な富のみであるならば、おそらくあなたの努力は報われないでしょう。しかし、その答えが本当の意味での人生の勝利者となることであり、人生の成功者となることであるなら、あなたの努力はきっと報われることでしょう。

他人の不幸を自らの飯の糧とする職業、医者と僧侶と法律家だといいます。だからこそ高潔な倫理観を要求されるとも言われます。司法書士という法律家を目指すことを仮に選択したとするなら、この高い倫理観をもつことを覚悟すべきです。そのためには、世俗的な雑音に耳を傾けず、ひたすら合格のために汗を流すべきです。そして、短期間に合格してしまうべきです。受験時代の長さなど、何の役にも立たないのですから。

そして合格すれば、よき人を先輩とし、共にその道を進むなら、あなたの司法書士としての人生は開けていくでしょう。逆にそうではなく、他人を押し分け抹消1件を求めて走り回るなら、そのような人生になってしまうでしょう。どちらも、あなたの人生です。

第2の問題は難問です。
なぜなら、これは法制度の問題であり、自分の人生の問題ではないからです。私自身もどうにも出来ることではなく、あなた自身もまたそうです。大きく言うならば、日本の司法書士17000名全員が、自らはどうしようもない問題なのです。

あなたの求める答えは、具体的に司法制度改革のなかでの司法書士資格の問題なのですが、司法書士資格が今廃止されると言うことはないと考えてよいでしょう。では、何年か後に廃止されるか、5年後、10年後、20年後、を考えてみても確かな予測は残念ながら私にもできません。

私自身がこのことに対して、どう考えているかと言えば、答えは決まっています。それは司法書士制度が将来なくなるとするなら、なくなっても構わない(ある意味では仕方ない)、と思います。司法書士制度はなくなっても、滋賀県大津市で長谷川事務所はなくならない。これが答えです。これだけの覚悟をもって日々社会と接しています。そう言えるのは、仕事があるからだろう、事務所が大きいからだろうとお考えかも知れませんが、私の事務所は私と妻(といっても電話番だけですが)の二人だけの事務所です。二代目などではなく、私が昭和63年に開いた小規模の事務所です。銀行からの仕事などほとんどありません。昭和61年、それまで14年間務めていた司法書士事務所に在職中司法書士試験に合格しました。時に、35才でした。直ちに司法書士登録、翌1年間、その事務所でお礼奉公をさせていただき、翌63年1月に開業しました。これが私の現実です。

司法書士の将来を予測することは困難です。
世界の法律家制度に二つの種類があることをご存じでしょうか。
一つは、アメリカに代表される一元的な法律家制度です。
もう一つは、イギリスに代表される二元的な法律家制度です。
それから言えば、日本は多元的とも言える、多くの法律家がその機能別、分野別に存在しています。

今はやりの国際標準(といわれますが、わたしはグローバルスタンダードなどではなく単にアメリカンスタンダードだと思っています。)から言えば、法律家制度も一元化へ進む流れがありうると思います。しかし、日本のような多くの制度が、単純に弁護士制度に一元化されるとは考えられず、日本独自の法律家制度として存続していくというように考えた方が自然ではないでしょうか。また日本型の法律家制度というものの独自性も、今後重要性が増してくるかも知れません。

ここでは、私の考えを述べるに終始し、あなたの疑問に対しての答えにはなっていないように思います。もっと、ここが知りたいという点に焦点が合っておらず、隔靴掻痒の感があろうかと思います。そのことを知りながらもう少し述べます。

わたしは、司法書士は日本型の独自の法律家を目指すべきだと考えています。
それは、決して弁護士と同じでないという意味(その意味では決してミニ弁護士ではありません。)において独自な法律家なのです。

法律家は、その本来の意味からして、依頼者の代理人となり、その利益を追求するものです。しかし、司法書士には永年にわたる登記実務の中で双方代理という立場での執務の経験を積み重ねています。ここにおいて、さらにここ1〜2年の内には簡裁代理権を取得することにもなります。しかし、簡裁代理権の取得によって、司法書士は弁護士に近づき、やがて弁護士に吸収されていく、そういった途をたどるのではなく、双方代理型を基本としながらも、当事者の選択によっては単独代理(一方代理)型の支援も可能であるそのような法律家になるべきなのです。そのことが、市民に一番近い法律家として、現在まで活動をしてきた司法書士に最もマッチしており、今回簡裁代理権という新たな選択肢が市民に増えたことは、司法書士の信頼性を高める方向に変化を来すだろうと考えています。

決して弁護士と同じではないという意味(弁護士は双方代理はできない)で日本型の独自の法律家に司法書士は変化していくと考えています。いや私自身が変化していきたいと考えています。弁護士3000人体制のもとに、やがては弁護士に吸収されていくそういう滅びの途を司法書士は求めてはならないのです。

司法書士試験は生やさしい試験ではありません。
しかし、合格したいという思いで勉強をされるのであれば、是非信念を持って合格してください。
受験生にとって大事なことは、時間と情報です。無駄に時間を使うことも、無駄な情報にとらわれることも、どちらも避けなければなりません。情報時代といわれる、現在であればこそ、なおさらそのことが強く要求されます。

もし、あなたが本当に悩んだり、どうすればよいか困ったときは、掲示板への投稿ではなく直接メールを下さい。お役に立てるかも知れません。ただし、そのときは匿名ではなく、司法書士を目指しているひとりの受験生として名前を明かして、一人の司法書士長谷川にメールをお寄せください。




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