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物語の中の司法書士

Shihoshoshi in novels

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[Entry number 003]

写真は本文と関係がありません。 Entry nubmer 003 紹介者
琵琶湖のなまず
著者
高橋和巳(たかはしかずみ)
題名
悲の器(ひのうつわ)
出版社
河出書房新社
内容
この作品は、その欲張った構想のゆえに、日本の現代史や精神史、とりわけ多くの法律学の資料や著述の参照の上になりたっている。私の脳裡に生れ、作中人物に仮託した二三の観念については、相当な自負がないわけではない。しかし、それらの諸観念も、先人たちの開拓した土壌の上に育てられたものである。作中にある法律の条文の解説や、法律思想の輸入経過の要約などに関して、論文ならば脚注を付し、某々氏の見解による、ないしは、某々氏の著述に示唆されること多い、とことわるべきところが二三ある。いまもそうしたい欲望をおぼえないわけではないが、いまはただ、数多くよんだ法律学の著述のうち、ヘーゲル、イェリネック、ラードブルック、滝川幸辰、横田喜三郎、熊倉武諸氏の業績がとりわけ感銘深いものであったことを、感謝とともにしるすにとどめたい。これは小説であって、論文でも、資料整理でもない。それゆえ、法律家の手記の体裁をとりながら、法律学上は特有の概念規定をもつ言葉−たとえば<悪意>−も、一般的に用いられる意味で用いている。また内容が要求する必然性によって、場所設定は東京ということにもなっているが、私はおよそ東京の地理などは知らんのである。それら一切は、構想の全体との相関において、作者が責任をおうべきものである。(同書「あとがき」より)
登場場面
  裁判所に入ると、民事訴訟課の受付の胥吏(しょり)は爪楊枝を口にくわえて、
机に肘をついていた。
  定年ももう間近かであるにちがいない。屈託のない表情には、まだ若さが残っ
ていたけれども、私が地方裁判所検事局検事であったころにも、同じ場所に坐っ
ていた人物だった。召喚状を提示する間に、横の通路を、なにかの裁判の傍聴を
するらしい学生の一団が場慣れた足どりで階段のほうへ歩いて行った。菊の紋章
のとりさられた、正面の空虚な壁龕にちらりと視線を走らせながら。
  受付の胥吏は、私の顔を見てなにかを思い出しかけたらしく、薄笑いして硝子
越しの彼方で立ちあがった。玄関に停車した警察の拘留車のほうに視線をそらせ
た私の視界に、それでも、召喚状と私の顔を不安げに見較べる老廷丁の表情が映
った。
「部屋はどこかね。」
「ああ、あなたは・・・・・・。」
「どこかね。」
  受付窓から距離を置いていた私の前を、坊主頭の未決囚が警官にひかれてのろ
のろと歩んでいった。弁護士会のバッジをつけた若い弁護士が黒カバンを脇に、
入れかわりに出てゆく。玄関の円庭のヒマラヤ杉は、永遠に変わらぬ影を狭い芝
生の上におとしていた。裁判所前に開業する代書人の看板はおおむね変わってい
た。毎日見ていても、正確にその一々を覚えていたわけではない。しかし、大道
路を距てていても、遠方が不思議とよく見えるようになった遠視の目に、それら
が元の名前でないことだけはあきらかだった。
「二階中央の廻廊を左におまがりになりますと、もと予審室だった小部屋がござ
います。二十号室です。」
  もう慢性化し、誰にむかうものとも知れぬ目標なき怒りを抑えようとして、な
おしばらく私は玄関口につっ立っていた。

 (同書45ページより)

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