紹介者「そのご住所には、有吉公認会計士事務所の登録は見当たりませんが」 ちょっと虚を疲れた感じだった。 「まったくありませんか。似たような名称の事務所も?」 「お待ちください」 現在の番号案内はすべてコンピュータ照会によるものだから、ざわざわした雑音の底に、 かすかなキータッチの音が混じって聞こえてくる。 「ございませんね。ご住所に間違いありませんか?」 もう一度読み上げて確認した。読み違えではない。仕方がないので、いったん電話を切 った。 会計士や弁護士、司法書士など、独立して看板を掲げ、依頼人相手に仕事をする商売の 人間は、めったに事務所を移転したりしないものだ。それは根を引っこ抜いてしまうこと だから。彼らが一様に、最初に開業するときの場所の選択にうるさいのは、一度そこに居 を定めてしまうと容易には移動ができないからだ。 新米のうちに、誰か先輩の事務所に居候をさせてもらい、時機を見て独立するというこ となら、移転も考えられる。しかし「有吉」と単独名で営業していた事務所が、そっくり すぽんと電話帳の上から消えてしまうとは−− (同書文庫本61ページ〜62ページ)

