私こと希志大介は四十五歳を迎えようとしていた。
子供はなし。活動的な妻は鍋物用材料の産地直送を仲
間と一緒になって始め、二年ほど前、「わたし、仕事を
もっとちゃんとやりたいの」と言い残してバンクーバー
に渡ってしまった。友達に誘われケータリングの事業を
手伝うかたがた日本に鍋物材料を送るのだという。妻の
事業好きは、流産で二度と子供を生めない身体になって
しまってからはずみがついた。妻を精一杯慰めようとし
たが、そんなことではぽっかり空いた心の穴を埋めるこ
とはできなかったようである。
ある日突然、妻はバンクーバーから手紙を寄越し「も
う日本には戻らないことにしました。こちらでずっと暮
らしたいと思います。分かって下さいね」と書いてよこ
した。それから間もなく離婚届を送ってきた。
折しもその年の夏は父の七回忌――。
父は滑稽な死に方をした。
東京の下町で司法書士の事務所を開いていた父は、固
定資産税が高過ぎるという商店や飲食店経営者にかつが
れて減税運動のリーダーにされた。地元の政治家に政治
資金や融資の面倒なども見て働きかけたのだが、結局は
食い逃げされたも同然の結果に終わる。のみならず司法
書士の仕事さえ行き詰まってしまった。
父のお得意先は特殊法人の政府金融機関だったが、減
税運動のリーダーになってから客からの注文がなぜか途
絶えた。
調べてみると、抵当権設定登記などに必要な書類が整
うとその金融機関はその場で客に別の司法書士に電話を
かけさせ、仕事を回してしまう。
国税庁の嫌がらせだと言って父は憤慨したが、いまさ
らどうにもならず、いらいらがつのって酒量が進み、あ
る夜駅のホームから落ちて死んでしまった。
「清太郎さんも、融通のきかない人だったからなあ」
七回忌の夜、わけ知り顔の叔父がそう言って、親戚一
同もなんとなくうなずき、それから父についての話題が
噴き出して大いに宴が盛り上がっていくのを見やりなが
ら、父も馬鹿な死に方をしたものだとつねづね思ってい
たにもかかわらず、急にその一徹さが哀れになってきて、
生前さんざ父に世話になった叔父に憎しみすら覚えたも
のである。
(http://www.shinchosha.net/kyozei/index0.html より)